健康ってわりと気まぐれなのでは?
そもそも無形なもの
先日、私の健康法について書きました。
正直に言えば、そこに「答え」があるとは思っていません。
今こうして改めて文章を書いている最中も、「これは本当にまとまるのか?」と思いながら、少し不安な気持ちでキーボードを打っています。
健康というものは、数字や明確な基準で測れるものではありません。
とても無形なものだからこそ、その判断基準は、最終的には自分の中にしかないのだと思います。
現代は、健康に関する情報があふれています。
「これを食べればいい」「この運動をすればいい」「この器具を使えば変わる」——そんな“答えらしきもの”が、日々更新されて流れてきます。
でも、それらは一歩間違えると、まやかしにもなり得る。。。可能性もあります。
たしかに効果があるものもありますが、すべての人にとっての正解ではありません。
だからこそ、自分の感覚も、ひとつの大切な判断基準になるのではないでしょうか。
曖昧だからこそ

私自身、この仕事をしていると、つい「はっきりした答え」や「正解」を求めてしまいます。
でも、健康にそんな答えはないとつくづく感じています。
だからこそ、からだの声に耳をすませてみることにしています。
なんとなく調子がいい日もあれば、今日は無理をしないでおこうと思う日もあります。
そんなふうに、その日の自分のからだに素直に向き合うことが、案外いちばんの健康法なのかもしれません。
曖昧だからこそ、自分の身体の声を聞く。
なんとなく調子がいいとか、今日は無理しないでおこうとか、そういった感覚的なものが、案外大事だったりします。
たぶん、健康とは「正しくあること」ではなく、自分の感覚が「ちょうどよくあること・ちょうどよいこと」なのかもしれません。
それは人によって違って当然で、日によっても変わるもの。
そんなふうに思いながら、今日もゆるく泳ぎに行こうか、それともやめておこうか、迷っている自分がいます。たぶん行きます。。。多分
